東京地方裁判所 昭和33年(ワ)3934号 判決 1960年5月11日
原告 近藤英子
被告 国
主文
被告は原告に対し金三六八、八〇〇円及びこれに対する昭和三三年六月三日から支払ずみまでの年五分の金員を支払うべし。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者双方の申立
原告代理人は「被告は原告に対し金三八一、三〇〇円及びこれに対する昭和三三年六月三日から支払ずみまでの年五分の金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、
被告代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二当事者双方の主張
一 原告代理人は請求の原因及び被告の主張に対する答弁として次のとおり陳述した。
(一) 昭和三二年一月一九日、岐阜地方検察庁大垣支部検察官(以下単に検察官という。)は、岐阜地方裁判所大垣支部に対し、原告を別紙のような公訴事実によつて詐欺の罪名で在宅のまま起訴したが、その要旨は「説田周策所有の大垣市東前町字寺西四五五番地田五畝一七歩(現況田四畝、畑一畝一七歩)は、国が大垣市安井地区農地委員会の昭和二二年三月三一日付買収及び売渡計画にもとずいて不在地主の所有農地として買収し、当時小作人であつた有里愛造に売り渡したものであるが、被告人(原告)の居住する大垣市東前町四三二番地の三所在家屋の敷地のうち三六坪(以下本件土地という。)は買収された説田周策所有の前記土地の一部であり、従来被告人方が有里愛造より転借していた。昭和二四年春ごろ、本件土地をめぐつての境界紛争があり、これについて大垣市安井地区農地委員会が調停したことから同委員会において本件土地が現況宅地であつて買収の対象から除外すべきものであることが判明したので、昭和二四年九月ころ、同委員会は本件土地を前記買収から除外し、岐阜県庁保管中の農地買収計画書及び売渡計画書を本件土地が最初から買収及び売渡の対象となつていなかつたように訂正した。被告人はその頃右事実を知り、その情を知らない説田周策を欺罔して本件土地を同人から騙取しようと企て、その頃自己の夫近藤勇名義で有里愛造から本件土地を代金三〇二円四〇銭で買い受け、さらに説田周策に対し、本件土地が買収の対象から除外されたことを秘して本件土地をその売渡を受けた有里愛造から買い受けたので本件土地の説田周策名義の所有権保存登記、中間省略登記の方法による説田から近藤勇名義への所有権移転登記のためその各申請書類等に押印して貰いたい旨度々申入をした結果説田をしてそのように誤信せしめてその押捺をさせ、昭和二五年一月二一日、司法書士を通じて右申請書等を岐阜地方法務局大垣支局に提出し、登記をさせて本件土地を説田周策から騙取した。」というのであつた。
(二) 岐阜地方裁判所大垣支部は、昭和三二年二月二二日から同年一一月二九日まで一一回に亘る公判期日を開き、審理の結果同年一二月二八日、原告に対して無罪の判決を言い渡し、右判決は検察官の控訴がなかつたので昭和三三年一月一二日に確定した。しかして右判決に無罪の理由として説示されたものの要旨は「本件土地について境界紛争があり、又買収計画書及び売渡計画書の各控書を訂正したのは証拠によれば公訴事実記載の昭和二四年春ごろではなく昭和二五年春ごろであつたと認められるので、被告人(原告)が本件土地について登記をした昭和二五年一月には右訂正の事実を知り得なかつたこと及び登記前後の諸般のいきさつから見れば、被告人は本件土地は政府が説田周策から買収して有里愛造に売り渡し、同人から被告人の夫近藤勇が有効に買い受けたものであると信じていたことがうかがわれる。要するに被告人は司法書士の筆生広瀬はなから教えられたとおり中間省略登記の方法をとるために説田周策の委任状入手に努力したけれども、本件土地について詐欺の犯意はなかつたものと認める。」というのであつて、検察官の認定の誤を明瞭に指摘し、被告人に犯意がなかつたことが明らかであると認定している。
(三) 検察官の本件起訴は次の理由により甚だ不当、粗漏であつた。
(1) 検察官は起訴状記載のように境界紛争につき安井地区農地委員会が調停したのは昭和二四年春ごろであつて、その結果同委員会は本件土地が宅地であることを知り、買収計画書及び売渡計画書を訂正するにいたつたと認め、これを原告の詐欺の犯意認定の前提としているのであるから、右境界紛争問題は本件においてきわめて重要な点であるのに、検察官はこの点について農地委員会の関係者等から約一〇年以前の不確実な記憶にもとずいて事情を聴取しているのみで原告自身に対しては全く質問をしていない。しかし事実は右境界紛争の生じたのは昭和二五年春であり、もし検察官が原告にこの点について弁明の機会を与えたならば原告はその時期が昭和二四年春ではなく昭和二五年春であることを立証し得る物証として誓約書(甲第六号証)を所持していたのでこれを提出して説明をしたはずであり、そうすれば農地委員会の関係者もはつきりした記憶を呼び起すことが可能であつたものと思われるし、その結果検察官も日時の認定を誤まらずにすんだはずである。そもそも検察官は被疑者の不利と思われる事柄については十分に弁明の機会を与えるべきであるのに、本件において原告の犯意推定の前提となつたきわめて重要な事柄である前記の境界紛争点についてなんら質問をせず、その結果不当に原告の犯意を推認したのは検察官の取調に重大な過誤があつたものといわなければならない。
(2) 起訴状の記載によれば検察官は、昭和二四年九月ごろに農地委員会の書記富田幸子が岐阜県庁において買収計画書及び売渡計画書を本件土地が最初から買収及び売渡の計画から除外されていたように訂正したことを原告が知りつつ有里愛造から本件土地を買い受け、さらに説田周策から捺印をもらつたものと認めたようであるが、検察官は安井地区農地委員会備付の右計画書控簿のみを調べて原本も訂正されているものと速断したのである。実際は控簿のみが訂正され、県庁備付の原本は訂正されていなかつたのに原本の調査もなさずにかような誤認をしたのは検察官の重大な懈怠というべきである。検察官は公判の最終段階である昭和三二年一一月二九日にいたり訴因を変更してこの点を訂正したが、若し起訴以前において買収計画書及び売渡計画書の原本が訂正されていないことが判明したならば、これに関連して農地委員会が買収計画書及び売渡計画書の訂正をこころみた時期も判明し、原告が説田周策から登記申請書類に捺印を受けた際に右訂正の事実を知つていたはずがないということとなつて原告の嫌疑ははれていたものと思われる。
(3) 原告が説田周策に登記申請書類の押印を求めたのは昭和二五年一月であるが、検察官は原告が登記申請手続を依頼した司法書士長谷川精一、同浩一父子、その受付簿、その筆生広瀬はな、登記申請書類等を取り調べることなく、単に説田周策の供述のみを措信してその時期を昭和二四年九月ころと誤認した。もし検察官が右参考人等を起訴前に取り調べていれば右時期の誤認が明らかとなつて原告に犯意がなかつたことに気付く端緒が得られた筈であり、本件起訴は検察官の粗漏な捜査にもとずくものであつたというべきである。もつとも検察官は起訴後の昭和三二年一月二三日に長谷川浩一を、同月二六日に広瀬はなをそれぞれ参考人として取り調べているが、かような起訴後の参考人取調はそれ自体起訴前の捜査が不十分、粗漏であつたことを示すものに外ならない。
(4) 本件土地に関する買収処分が無効であるかどうかは法律上一つの問題であるが、仮りに無効であるとしても、一介の家庭婦人であり法律に無知な原告が農地買収の範囲や要件について知るはずもなく、国によつてなされた買収処分を一応有効と考えることはむしろ当然であり、検察官においてたやすく原告が本件土地の買収処分が無効であることを知つていたと認定したのははなはだ軽卒といわなければならない。ましてや農地委員会において買収計画書及び売渡計画書を訂正したことを原告が知つていたという起訴状記載のような検察官の認定が前述のとおり明らかに誤認である以上なおさらのことである。
(四) 原告は検察官の前記不当、粗漏な起訴によつて次のような損害を受けた。
(1) 財産上の損害 金二八一、三〇〇円
(イ) 弁護人三宅修一に支払つた分
(a) 日当一日当り金三、〇〇〇円 合計金七五、〇〇〇円(明細は別表記載のとおり、昭和三一年三月改正東京弁護士会報酬規定第九条所定の金五、〇〇〇円ないし金一〇、〇〇〇円より割り引いたもの。)
(b) 成功報酬金五〇、〇〇〇円(前記報酬規定第六条の四により本件の困難性と完全成功の結果等を考慮に入れ、きわめて低額に定めたもの。)
なお原告が東京在住の弁護人を選任したのは本件土地の所有者説田周策がきわめて強引な人物であるため同じ土地の弁護士を選任するのは危険であると思慮したことと原告は当時藤沢市に居住していたので事件打合わせなどの関係で東京在住の弁護士を選任するのが便利であつたことによる。
(ロ) 原告の支出した分
(a) 原告の横浜大垣間二等乗車賃合計金三五、一二〇円(明細は別表記載のとおり)
(b) 三宅弁護人の東京大垣間二等乗車賃合計金三七、〇四〇円(明細は別表記載のとおり)
(c) 原告及び三宅弁護人両名の二等普通急行料金合計金三二、六四〇円(明細は別表記載のとおり)
(d) 原告及び三宅弁護人両名分の宿泊料(昼食、女中チツプ、税共)合計金三九、〇〇〇円(明細は別表記載のとおり)
(ハ) 原告の日当一日当り金五〇〇円合計金一二、五〇〇円(明細は別表記載のとおり)
(ニ) 精神的損害 金一〇〇、〇〇〇円
原告は中流以上の平和な家庭生活を営む(原告の夫近藤勇は東洋製罐株式会社業務部勤務の古参社員であり、実質上課長待遇を受けている。)主婦であり、又繊細かつ鋭敏な正義感を有する婦人であるが、なんらやましいところもないのに生れてはじめて刑事被告人とされ、気も狂わんばかりに悲嘆のうち起訴後判決言渡までの一年間を過した。また一〇回にわたる公判出廷のため遠隔の地へ自己の家庭に幼児(当時六歳)を置いて不安のうちに通わせられたことによる精神的打撃は一生涯洗い得ないほど深刻なものがあるが、金一〇〇、〇〇〇円はその精神的損害に対する最低限度の慰藉料である。
(五) 以上のとおりであるから、原告は国家賠償法第一条第一項にもとずき被告に対し金三八一、三〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三三年六月三日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の支払を求める。
(六) 被告の主張事実のうち原告が昭和二五年一月六日付で農地委員会名義の分筆並びに地目変更申告書を大垣税務署に提出したことは認めるが、これは広瀬はなから右手続をしなければ中間省略の登記手続ができないと言われて同人に依頼して提出したものにすぎない。
二 被告代理人は請求の原因に対する答弁及び被告の主張として次のとおり陳述した。
(一) 請求原因事実(一)記載の事実、同(三)記載事実のうち検察官が原告主張のように訴因を変更したことはいずれも認めるが、その余の主張は争う。
(二) 本件起訴にいたるまでのいきさつは次のとおりである。すなわち説田周策は、昭和二九年九月六日に原告の夫近藤勇及び原告の妹婿の義兄田中一市(当時大垣警察署巡査)両名を被告訴人として大垣警察署に対し、口頭をもつて右両名は共謀の上告訴人の所有する本件土地がいわゆる農地解放の対象となつていると詐言を弄してその旨告訴人を誤信させ、その結果右土地についての所有権保存及び移転登記に関する委任状等に捺印させた上昭和二五年一月二一日近藤勇名義に所有権移転登記をして本件土地を騙取したという趣旨の告訴をしたので、大垣警察署は関係人の取調をして岐阜地方検察庁大垣支部に同事件を送付し、同支部において捜査したが、告訴人主張のような犯罪を認むべき証拠がなかつた。そこで同地検検察官は右両名について犯罪の嫌疑なしとして昭和三〇年一〇月ころ不起訴処分をしたが、説田周策は同年一一月九日、同地検大垣支部に対し、さらに原告と田中一市両名を被告訴人として再調査願を提出したので、同支部においてさらに捜査をしたところ田中一市についてはいぜん疑点を見出せなかつたが、原告については(1) 昭和二四年春ごろ原告方と有里方との間に土地の境界について紛争を生じ、その解決のため農地委員会が現地を調査した際、本件土地は農地解放の対象から除外されるべきものであると指摘していたこと、(2) 同年末ごろ近藤側(代理人田中一市)が農地委員会に来て本件土地を農地解放の対象から除外して貰いたい旨申し出ていたこと等の事情を綜合して原告は本件土地が農地解放の対象となつていないことを了承していたものと考えられたので、同庁検察官は昭和三二年一月一九日原告を詐欺罪により起訴したものである。
(三) 本件起訴は正当であつて検察官に過失はない。
(1) 境界紛争について安井地区農地委員会が調停した日時及び同委員会が買収計画及び売渡計画書の各控書を訂正した日時について、検察官がこれを昭和二四年春ごろと認定したのは右調停の衝にあたつた同委員会副会長浅野精一、同委員会の書記で右控書の訂正方を妻幸子に命じた富田荘吉、その命により現実に右控書を訂正した同委員会書記富田幸子及び同委員会会長横谷裔らの各供述を綜合した結果であつて、原告主張のように粗雑かつ不当きわまるものではない。原告は、もし検察官が境界紛争の問題について原告に質問をし、弁明の機会を与えたならば(原告の検察官に対する供述調書に境界紛争に関する供述の記載がないことは認める。)、原告としては誓約書(甲第六号証)を提出して境界問題の発生が昭和二四年春でなく、昭和二五年春であつたことを説明して立証することができたはずであり、その結果横谷、浅野らの参考人も正確な記憶を取り戻し、買収計画書及び売渡計画書訂正の手続をとつたのも昭和二四年春であつたことを認め得たはずであると主張するが、しかし、原告の強調する誓約書はそれ自体措信し難い。すなわち農地委員会書記三輪昇の本件刑事公判における証言によれば、右誓約書は境界問題について全く関知しない同人が記載して農地委員会の印を押したものであるが、同人はいかなる事情で誰に依頼されてこれを作成したのか記憶がないというのであつた。(本訴においては同人は「農地委員会の横谷会長だつたかに頼まれて書いたと思う。」と証言するにいたつたが、前記刑事公判における証言に対比してとうてい措信し難い。刑事判決も右誓約書を境界問題の発生が昭和二五年春ごろであるとの認定資料とはしていない。)刑事公判においては横谷、浅野両証人も右誓約書を見て境界紛争の年度につき昭和二五年であるとの記憶想起をしているわけではないし、かえつて右両名の証言によれば境界紛争及び買収計画書及び売渡計画書訂正の日時は昭和二四年春であつたと認めるに十分といい得るほどである。すなわち横谷証人の供述によれば、同人が富田荘吉に計画書の訂正を命じたのは富田荘吉のやめる一年位前であつたというのであるが、富田荘吉は昭和二五年五月にやめているのであるから右訂正を命じたのは昭和二四年春でなければならないことになる。
原告に対する被疑事件については身柄不拘束のまま取り調べ、その住所の関係上本人は横浜地検に嘱託して取り調べたのでその間十分に意をつくし得なかつたうらみはあろうが、しかし被疑事実を告げた上原告が本件土地を取得するにいたつたいきさつについては詳細に聴取している。境界紛争の問題については特に改めて原告からその弁明をきかなくとも農地委員会の会長、副会長、書記等の供述から昭和二四年春ごろであることが間違いないと思われたので、検察官はその他諸般の事情を綜合考察して原告は本件土地が農地買収の対象から除外されていることを了知していたものと認めたのである。右境界紛争の時期を昭和二五年春ごろと認定した刑事判決ももちろん一つの見解ではあろうが、捜査当時の状況からすればこれを昭和二四年春ごろと認めた検察官の起訴もまた一つの見解たるを失わない。(特に農地委員会書記富田幸子の勤務年限からすれば昭和二四年説をとらざるを得ないのであつて、特に甲第六号証の日付である昭和二五年六月九日の如きはとうてい採用し得ない。)
(2) 検察官は当初富田幸子が岐阜県庁備付の買収計画書及び売渡計画書の各原本についても訂正の手続をしたものと思つて起訴したところ、実際には右原本の訂正は行われていなかつたことは認めるが、しかし右原本訂正の有無は別段詐欺罪の認定や成立の要素に関するものではない。このことは刑事判決にも「仮りに計画書を前記のように訂正して除去し、当初からその対象としなかつたようにしても所有権の帰属は同様である。」と判示されていることからしても明らかであろう。検察官は右富田幸子が岐阜県庁備付の計画書の原本を訂正するのを失念した事情を昭和三二年一一月二九日付訴因変更請求書によつて明確にしている。
(3) 検察官が起訴前に長谷川精一、同浩一父子、広瀬はなの取調をしなかつたことは認めるが、前述のとおり他の証拠から昭和二四年中に境界紛争の問題から本件土地が農地解放の対象から除外され、買収計画書及び売渡計画書が訂正され、原告がこれを了知していたものと認めた以上、原告が登記手続を依頼した広瀬はならについて特に取調をしなかつたのはなんら不当でない。しかも検察官は起訴直後に念のため広瀬はな、長谷川浩一を参考人として取り調べたが、別段起訴に決定的な影響を及ぼすようなものはなかつた。
(4) 検察官が本件土地の買収処分及び売渡処分は当然無効であつて、その所有権はいぜん説田周策に属していると認定したのはなんら誤でなく、刑事判決も同様な認定をしている。しかし、本件において重要なのは原告がそのことを知りながら説田周策から本件土地の所有権保存登記及び移転登記に必要な委任状を入手してその登記をしたのかどうかのはなはだ認定の困難な知情(犯意)の点である。
(イ) 女でありしろうとである原告が当時買収処分の効力を判断し得るはずがなかつたという原告の主張及び所有者の説田周策でさえも知らなかつたくらいであるから原告はなおさら知らなかつたものと思われるという刑事判決の認定も一応肯定されなくもないが、しかし見方を変えて考えると、説田周策はぼう大な農地(田一町六反七畝二六歩その他)を買収されているのであるから、そのうち僅か三六坪にすぎない本件土地に対する関心は比較的薄いものというべく、原告の言をたやすく信じてその買収の無効に気ずかなかつたとしてもそれほど不思議はない。これに対して原告の場合は自己所有家屋の敷地のことであるから関心も当然に強いものというべく、それだけに右のような宅地が農地として買収されるという不合理なことに疑問を生じないはずがないともいえる。してみれば原告の場合必ずしも説田周策と同一に論ずることはできないものというべく、原告は右買収の無効を知つていたか、少くとも疑念を抱いていたものと推認される十分の余地がある。
(ロ) 原告は本件土地を金三〇二円四〇銭で有里愛造から買い受けているが、右代金は当時の地価からすれば非常に低廉である。もし真実有効に買収、売渡がなされたものであれば普通こんなに安い代金で売買されるはずがない。(原告は有里愛造に不正行為があつたからであるといい、その金額は有里愛造の買受金額に金一〇〇円を加算したものであるというがたやすく措信しがたい。)結局一応形式的には買収処分、売渡処分がなされているが、その効力には疑問があつたのでこのような安い代金で売買されたのではないかと推測される余地が十分にある。
(ハ) その上捜査当時における取調の結果、前述のとおり昭和二四年春ごろ(少くとも昭和二四年中)原告方と有里愛造方との間に境界紛争問題があつて農地委員会が調停した際、有里愛造が売渡を受けた田一畝一七歩のうち本件土地三六坪は宅地であるため農地解放の対象から除外すべきものであることが判明し、同委員会の書記富田荘吉及びその妻富田幸子が委員会の命を受けて本件土地につき買収計画書及び売渡計画書を訂正した上昭和二五年一月六日付農地委員会名義をもつて分筆並びに地目変換申告書を大垣税務署に提出したこと、右宅地の除外、訂正については近藤側(代理人田中一市)からも申入があつたことが認められたので、検察官は前記(イ)(ロ)の事情とあわせ考慮して、原告は本件土地が農地解放の対象となつていないことを了知していたものと考え、詐欺罪の嫌疑十分と認めて同人を起訴したものであるから、右起訴はなんら不当なものではなく検察官に少しも過失はない。
第三証拠関係
一 原告代理人は、証拠として甲第一ないし第四号証、第五号証の一ないし四、第六ないし第二七号証を提出し、証人三輪昇、同近藤勇の各証言、原告本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。
二 被告代理人は、証拠として乙第一ないし第一八号証を提出し甲第六号証の成立を否認し、その余の甲号各証の成立を認めた。
理由
一 昭和三二年一月一九日、岐阜地方検察庁大垣支部検察官が原告を別紙記載の公訴事実により詐欺の罪名で岐阜地方裁判所大垣支部に起訴したこと、岐阜地方裁判所大垣支部は公判における審理の結果昭和三二年一二月二八日、原告に対して無罪の判決を言い渡し、右判決は検察官による控訴がなかつたため昭和三三年一月一二日に確定したこと、右判決理由の要旨は原告主張のとおりであることは当事者間に争がない。
二 証人近藤勇の証言、原告本人尋問の結果と成立に争のない甲第二一、第二二号証、第二四号証、乙第一ないし第三号証、第一四ないし第一六号証を綜合すると、大垣市東前町字寺西四五五番地の宅地三六坪(本件土地)は有里愛造が所有者から賃借していた一六七坪(公簿上当初田五畝一七歩、現況田四畝畑一畝一七歩とされていた。)の一筆の土地の一部であつて、これを原告の夫近藤勇の先代がその居宅の敷地の一部として転借し、同人においてその地上に建物を建築して居住していたものであるが、昭和二二年三月三一日、大垣市安井地区農地委員会は右一六七坪の土地を田五畝一七歩として当時の所有者説田周策から自作農創設特別措置法第三条にもとずいて買収し、これを小作人有里愛造に売り渡す旨の買収計画及び売渡計画を定め、右計画にもとずいて被告がそのころそれぞれ説田周策を買収の相手方、有里愛造を売渡の相手方として買収処分及び売渡処分をしたこと、近藤勇は昭和二四年一一月ごろ復員し、同年一二月末ごろ有里愛造から本件土地を代金三〇二円四〇銭(有里愛造の買受価格に金一〇〇円を加えたもの)で買い受けたが、その所有権移転登記手続は原告に一任したこと、原告は昭和二五年一月初旬ごろ司法書士長谷川精一方筆生広瀬はなに右登記手続を依頼したが、同女から本件土地の公簿上の所有者は説田周策、地目は田五畝一七歩となつているのでまず本件土地の分筆並びに地目変換の手続をした上で説田周策の承諾を受けて近藤勇名義に中間省略の登記をするようすすめられ、その頃安井地区農地委員会に依頼して本件土地につき昭和二五年一月六日付で大垣税務署に対する分筆並びに地目変換申告書を作成してもらい、広瀬はなを通じてこれを大垣税務署に提出し、その頃その分筆、地目変換の手続がなされたこと、さらに原告は説田周策名義の保存登記をしかつ中間省略により説田周策から所有権移転登記を受けるために要する委任状を説田周策方に持参して同人の捺印を求め、一旦は拒否されたものの、子安覚司のあつ旋によつてその捺印を受け、昭和二五年一月二一日、右委任状を用いて説田周策名義の所有権保存登記及び同人から近藤勇への同月一〇日付売買を登記原因とする所有権移転登記手続を了したことなどの事実を認めることができる。その他に右認定を左右するに足る証拠は存在しない。そして右の認定事実は広瀬はなに関する部分と原告が説田周策から委任状に捺印を受けた時期を除き検察官が本件起訴に先き立つて認定したところと略一致することは起訴状の公訴事実の記載によつて明らかである。
三 検察官は、原告は本件土地の買収処分及び売渡処分が無効であつてその所有権はいぜんとして説田周策に存することを知りながら同人にそのことを秘し中間省略登記のためと称して委任状の捺印を受けたものであつて、要するに原告に詐欺の犯意があつたものと認定して原告を起訴したことは起訴状記載の公訴事実自体によつて明らかである。被告は、検察官が原告の知情(本件土地の買収処分、売渡処分が無効であり、したがつて本件土地の所有権はいぜん説田周策に存することを知つていたこと)を肯定したのは(一)昭和二四年春頃原告方と有里愛造との間に土地の境界について紛争を生じ、その解決のために農地委員会が調査した際、本件土地は農地解放の対象から除外さるべきものであると指摘したこと、(二)同年末ごろ近藤側代理人田中一市が農地委員会に対し本件土地を農地解放の対象から除外してもらいたい旨申し出たことなどを綜合して認定したものであると主張するが、起訴状記載の公訴事実によれば検察官は主として右(一)の点を重視していたことがうかがわれる。ところが証人近藤勇、同三輪昇の各証言、原告本人尋問の結果、成立に争のない甲第二一号証、第二六号証、乙第四、第五号証、第一四、第一五号証、証人三輪昇の証言と甲第二一号証の記載によつて成立の認められる甲第六号証を綜合すると、原告方と有里愛造方との間に土地の境界をめぐる紛争が生じたのは昭和二四年春ごろではなくて昭和二五年春ごろであると認めざるを得ない。すなわち右各証拠によれば近藤勇が本件土地の測量をした際有里愛造の所有地との境界が本件土地に食い込んでいることを発見し、有里愛造に対してその旨申し入れたところ、有里愛造は安井地区農地委員会に右境界の確定につき調停を依頼したこと、安井地区農地委員会は同会副会長浅野精一をして調停にあたらしめたが、その際本件土地は現況宅地であつて農地として買収すべき筋合のものでなかつたことが判明したので、買収計画書及び売渡計画書を本件土地が最初から買収及び売渡の対象となつていなかつたように訂正するよう同委員会の横谷裔会長が富田荘吉書記に命じ、同書記はさらにもと同委員会の書記であつた妻富田幸子をして同委員会の保管にかかる買収計画書及び売渡計画書の控を訂正させたが、同女は岐阜県庁の保管にかかる右計画書の各原本を訂正することを失念していたことを認めることができるが、これはいずれも近藤勇が有里愛造から本件土地を買い受けた後の昭和二五年春ごろであつたことが明らかである。もし右紛争を昭和二四年中とすれば近藤方の買受以前であることとなり、もとより賃借地の範囲について賃貸人との間に争を生ずることはないわけではないけれども、先代以来賃借して来た賃借地の境界についてとくに争を生ずべきとくべつの事情は認められないから、近藤方があらたに所有権を取得した後においてその坪数や境界に疑念を生じたと見る方がより自然でもある。もつとも成立に争のない甲第二六号証、乙第八ないし第一三号証、第一八号証など境界紛争の時期は昭和二四年春ごろではないかと疑わしめるような証拠が存在しないわけでもないが、前掲各証拠と対比すれば、これはいずれも検察官の取調を受けた参考人あるいは刑事公判における証人の記憶違いによるものと認められる。その他に右認定を左右するに足る証拠はない。結局において検察官が原告の犯意認定の最も重要な根拠としていた前記境界紛争は、原告が説田周策から委任状の捺印を受けた後の出来事であつて犯意認定の根拠たり得ないわけであり、その他に原告の詐欺の犯意の存在を肯定すべき証拠はなんら存在しないのみならず、甲第二四号証等によつて認められる原告が広瀬はなに登記手続を依頼した時の前後の事情などによれば原告はむしろ有里愛造から有効に本件土地の所有権を取得したものと考えていたことがうかがわれるので、岐阜地方裁判所大垣支部が原告に無罪の判決を言い渡したのはまさに正当であつたと言わなければならない。
四 以上説示したところから、検察官が詐欺の犯意のない原告を詐欺罪によつて起訴するにいたつたのは主として、境界紛争が起りこれに関連して買収計画書及び売渡計画書の訂正(原本は結局訂正されなかつたので各控の訂正)された時期を昭和二四年春ごろ以後と誤認した結果であることが明らかである。そこですすんで検察官がかような誤認をするにいたつたのははたして原告主張のように不当かつ粗漏な捜査によるものであるかどうか、すなわち検察官の故意又は過失にもとずく違法な職務の執行によるものであるかどうかについて判断する。前掲乙第四、第五号証、第八ないし第一三号証、第一六号証、第一八号証によると、検察官は原告の起訴に先き立ち境界紛争、買収計画書及び売渡計画書の訂正をめぐる前後の事情に関し参考人として安井地区農地委員会会長横谷裔、同委員会副会長浅野精一、同委員会書記富田荘吉、同人の妻富田幸子を、証拠物として買収計画書及び売渡計画書の各控、右農地委員会作成名義の本件土地に関する分筆並びに地目変換申告書等を取り調べたことが認められるが、右参考人らは検察官の取調に対していずれも境界紛争の時期ないし買収計画書及び売渡計画書訂正の時期を昭和二四年春ごろあるいは同年中と供述している。各参考人の供述を具体的に見るに、まず浅野精一は、昭和二四年春ごろ農地委員会から有里愛造と近藤勇との間の土地境界の紛争について調停を委任され、現地において調停を行つた云々と述べており、横谷裔は、有里愛造から境界紛争について調停の申入があつた時期につき当初は昭和二四年九月頃と供述していたが、二回目の取調に際しては同年春ごろだつたかも知れないと述べている。さらに富田荘吉は、境界紛争については供述していないが、買収計画書及び売渡計画書の訂正に関し、昭和二四年一二月ごろ田中巡査が農地委員会に来て本件土地の買収手続からの除外を申し入れたので横谷会長にその旨告げたところ、同会長はその話は他からもきいているから本件土地を分筆して買収計画書及び売渡計画書をそのように訂正するよう命じたので、そのころ妻幸子とともに岐阜県庁に行つて同庁に保管されている買収計画書及び売渡計画書を訂正し、さらに昭和二五年一月六日付で本件土地の分筆並びに地目変換申告書(乙第一六号証)を作成し、これを大垣税務署に提出した旨供述しており、又富田幸子は、夫荘吉とともに買収計画書及び売渡計画書を訂正したがその時期は自己の在任中(同女は昭和二四年秋ごろ退職)である旨供述している。右参考人らの供述と証拠物によれば検察官が境界紛争の時期を昭和二四年春ごろ、買収計画書及び売渡計画書の訂正の時期を同年九月ごろ(検察官の右時期に関する認定は後述の説田周策の供述とも考えあわせたものと思われる。)と認定したのは一応無理からぬこととも考えられる。とくに富田荘吉が昭和二五年一月六日付の分筆並びに地目変換申告書(乙第一六号証)を作成提出するにいたつたいきさつについて供述しているところ(横谷会長から本件土地を分筆して買収計画書及び売渡計画書を訂正するように命ぜられたのでこれを作成した云々)や富田幸子の自分の退職後には買収計画書等の訂正などする筈がない云々の供述などは一応右の認定を合理的ならしめるようにも見えるので検察官は恐らくかような供述や乙第一六号証の存在等を右認定の重要な手がかりとしたものであろう。しかし右参考人らの供述はいずれも約七年前の事柄に関するものであるから、その記憶が必ずしも明確とはいい難いことは十分に考えられた筈であり(現に横谷裔の境界紛争の時期に関する記憶がたしかでないことはその供述自体から明らかである。)、右参考人らの供述をさらに仔細に検討してみると不合理と思われる点や供述相互にくいちがいがある点も二、三にとどまらない。たとえば富田荘吉は横谷会長から本件土地を公簿上分筆手続をした上で買収計画書及び売渡計画書の訂正をするように命ぜられたのに、分筆及び地目変換の手続(昭和二五年一月六日付申告書にもとずくものであり、この時期は動かしがたいものである。)をする以前に買収計画書及び売渡計画書を訂正したというのは不合理と考えられるし、又富田荘吉と同幸子の買収計画書等訂正の時期についての供述は明らかにくいちがつている。検察官は説田周策の原告の依頼にもとずいて捺印をした時期についての供述と考えあわせ、富田荘吉の昭和二四年一二月ごろという供述を記憶違いと認めて富田幸子の同年秋ごろという供述を措信したようであるが、富田荘吉の買収計画書等訂正の時期に関する供述は相当断定的であるし、横谷会長も本件土地を買収及び売渡の範囲から除外することを農地委員会で決議したのは同年一二月ごろであると供述しているのであるから検察官としては右参考人等の供述相互の矛盾からしていずれの供述も不確実な記憶にもとずくものであつてかなり信憑性に乏しいことに思いをいたす余地があつたと思われる。しかも同年九月ごろという認定をすると買収計画書等の訂正から分筆及び地目変換手続にいたるまでの二、三カ月間の時間的なへだたりの説明が困難である。
(六) 原告本人尋問の結果と前掲甲第六号証によれば、検察官は原告の起訴に先き立つて横浜地方検察庁の検察官が岐阜地方検察庁大垣支部検察官の嘱託によつて原告を取り調べた際境界紛争に関してなんら質問をしなかつたこと、当時原告は有里愛造が境界紛争に関して原告の夫近藤勇宛に差し入れた昭和二五年六月九日付誓約書(甲第六号証)を所持していたことが認められる。そうしてもし検察官が原告に境界紛争をめぐる前後の事情について質問をしていたならば原告は当時所持していた右誓約書(被告は右誓約書はそれ自体措信し難いと主張するが、証人三輪昇と甲第二一号証によつて真正な成立の認められることは前述のとおりである。)にもとずき境界紛争問題の生じた時期について正確な記憶を供述し、右証拠物を呈示することによつてその供述を裏付けることができたものと思われるし、さらに検察官としてはかような証拠物が呈示された以上境界紛争の時期及び買収計画書等訂正の時期を昭和二四年春ごろないし末ごろと供述している前記各参考人にその記憶が確実かどうかを確めたであろうし、その結果各参考人が正確な記憶を換起してその供述を訂正したであろうということは十分考えられる。そもそも境界紛争問題は検察官が原告に詐欺の犯意ありと認定した重要な根拠とされているのであるから、何故に検察官が原告にこの点について質問をし、弁明の機会を与えなかつたのか理解に苦しまざるを得ない。もちろん参考人の供述その他の証拠によつてなんら疑いを挿む余地を残さない程度に犯罪事実が証明されているような場合にはあえて被疑者に個々の点について弁明の機会を与えなくとも捜査上の方法としては必ずしも不当とはいえないであろうが、本件においては前述のとおり各参考人の供述はいずれも約七年前の不正確な記憶にもとずくものであり、又不合理な点も二、三認められるのみならず、供述相互間のくいちがいもあつて被疑者である原告の知情がなんびとも疑わない程度に証明されていたとはとうていいい難かつたのであるから、嘱託による取調という不便はあつたにしても検察官が起訴前に原告に対し境界紛争の問題につき質問をし、弁明の機会を与えなかつたのは捜査上の手落として非難されてもやむを得ないというべきである。
(七) 検察官が起訴前に原告が登記手続を依頼した広瀬はな、さらに原告のために登記関係書類を作成した長谷川精一、同浩一父子の取調をしなかつたことは当事者間に争がないが、もし検察官が同人らを起訴前に取り調べたならば、同人らが刑事公判において証言しているように(甲第二二ないし第二四号証)、原告が広瀬はなに本件土地について所有権移転登記手続の依頼をしたのは昭和二五年一月はじめごろであつて、原告は同女のすすめによつて中間省略登記をすることとし、そのため説田周策に登記手続に要する委任状の捺印をもらいに行つたといういきさつがあること、したがつて説田周策は原告から捺印を求められたのは昭和二四年九月ごろである旨供述しているけれども、右供述は誤であることが明らかとなり、その結果境界紛争の生じた時期及び買収計画書等訂正の時期に関する検察官の認定、ひいては原告の犯意の認定に大いに疑問を挿むべき余地が生じてきたであろうことは十分に考えられる。検察官が犯罪捜査の過程においていかなる範囲の参考人を取り調べるかは検察官の裁量に委ねられていることはいうまでもないが、しかし他の各証拠に不合理な点や相互の矛盾があるためその供述の内容によつては犯罪の成否にも影響を及ぼすかも知れないような参考人を取り調べることなくたやすく被疑者を起訴するような検察官の措置は妥当を欠くものというべきであろう。本件において告訴人の説田周策は前述のように検察官に対し原告が捺印を求めた時期を昭和二四年九月ごろと供述しているけれども、富田荘吉や横谷裔の検察官に対する供述と対比すると必ずしもこれが正しいとの断定は困難だつたのであるから、やはり念のため原告が登記手続を依頼したと供述している広瀬はなを取り調べるのが相当であつたと考えられる。また検察官が実際には訂正されなかつた買収計画書及び売渡計画書の原本(岐阜県庁保管)を富田荘吉が訂正したものと誤認したことは当事者間に争がないが、原本を調査することなく単に安井地区農地委員会の保管にかかる各控が訂正されていることのみを調査して原本も訂正されているものと誤認し、これを原告の犯意認定の一つの資料としたことは検察官の慎重を欠く措置であつたといわなければならない。
(八) 一般に検察官が犯罪捜査を遂げて犯罪事実を認定するにつきこれを誤つたため無実の者について公訴を提起した場合であつても、捜査に欠陥がありあるいは事実の誤認があつたからといつて直ちに当該検察官の措置が違法な職務執行であり、あるいは当該検察官に故意過失があつたとすることはできない。一般に公訴権の行使は検察官の専権に属し、検察官は犯罪の捜査をするにあたつていかなる範囲の捜査をなし、いかなる捜査の方法をとるかはその裁量に委ねられており、また捜査によつて蒐集した証拠の価値をいかに評価するかはその自由な心証に委ねられているのであるから、その裁量ないし自由心証の正当な範囲においてならば、たとえ妥当でない捜査、あるいは結果的には誤つた事実の認定がなされ、その結果無罪を宣告されるべき運命にある事件につき起訴をしたものであつても、これをもつて直ちに違法とはいえないし、又故意過失にもとずくものであるともいえないのである。しかし、そこにおのずから限界が存在するのはいうまでもない。
元来国民が裁判所の裁判を受けることは、裁判制度の建前ないし由来からいえば、憲法第三二条に「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と規定されているように、むしろ国民の基本的な権利とされているのであつて、これは刑事訴訟においても民事訴訟においても異るところがない。したがつて私人が犯罪の嫌疑をかけられた場合に検察官の起訴にもとずいて裁判所の裁判を受けることは制度の建前からだけみれば(身柄の拘束を受ける場合は別として)裁判所の有罪判決による外は刑罰を課せられることがないということを保証されるという意味でむしろ当人の利益とも考えられるわけであり、有罪判決の宣告を受けるまでは無罪の推定を受けるものでもある。しかし今日の現実の社会においては少くとも刑事事件に関する限り刑事被告人として、なかんずくいわゆる破廉恥罪のそれとして裁判所の裁判を受けること、すなわち起訴されること自体を以てはなはだ不名誉なこととして一般的に考えられており、又起訴されることによつていろいろ有形無形の不利益をこうむることは公知の事実である。したがつて検察官がいやしくもある私人について公訴を提起するについては十分に慎重な態度を要求されるのであつて、公訴提起に関して検察官に委ねられている裁量あるいは自由な心証形成の限界はこうした観点からも考察されなければならない。かように考えてくると、結論的には検察官が犯罪捜査を遂行し、又蒐集した証拠を評価するに当つて検察官として通常用いうべき職務上の義務を欠いたがために事実誤認の結果を生じ、本来起訴すべからざる被疑者を起訴するにいたつた場合には当該検察官に少くとも過失があり、それとともに当該起訴は違法となるものと解するのが相当である。(検察官が犯罪の嫌疑の十分な者に対して起訴不起訴の裁量を誤つた場合についてはここでは触れない。)
(九) ひるがえつて本件において検察官が前述各参考人及び証拠物の取調をもつて十分とし、その取調の結果にもとずき原告に公訴事実のような詐欺の犯行があつたものと認定するにいたつたのはあながち不当ではないと考えられる面もないではない。ことに否認事件における犯意なかんずく詐欺罪における知情の点の証明の困難なことは経験上もこれを諒し得るところである。しかし、証人近藤勇の証言、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、本件事案の被告人たる原告は夫が一流会社の中堅社員として勤務している通常家庭の主婦であつてとくに経済的に困窮しているなどの事情もなく、前科はもちろん、警察等で取調を受けたことなどもなく、少くとも外形的にはおよそ犯罪(とくに詐欺罪などの破廉恥犯)のようなものとは縁遠い女性であることが認められるし、そのような境遇の婦人であればなおさら詐欺罪などの罪名で刑事被告人となること自体はなはだ不名誉なこととされる今日の社会の現実を考慮に加えるならば、検察官としてはこのような立場にある原告を疑いあえてこれを起訴するにあたつては、通常の場合にも増して十二分に慎重な態度をとるべきだつたと思われる。しかるに前述のように検察官は原告の犯意認定の最も重要な根拠である境界紛争問題について取り調べた参考人や証拠物に相互のくいちがいや不合理な点があつてそれのみでは明確とはいい難かつたのにこの点について原告に弁明の機会を与えず、他方かなり重要な参考人とみられる広瀬はなを起訴前に取り調べず、あるいは又買収計画書及び売渡計画書の原本を調査することなくその訂正があつたことを認定するなどの捜査上の手落があつたために原告の詐欺の犯意を誤認し、さらに原告を起訴するにいたつたものであるがもしこれらの点に手落がなかつたならばその結果はおのずから異なるべきものであつたことは前認定のとおりであるから、少くとも本件原告の場合に関する限りもはや検察官の措置は検察官に委ねられている捜査の範囲方法に関する裁量の範囲内における当、不当の問題を超えて検察官の過失を伴う違法な職務執行といわなければならない。したがつて被告は公務員である検察官が右違法な職務執行によつて原告に与えた損害を賠償すべき義務がある。
(一〇) そこですすんで原告が受けた損害額について判断する。
(1) 財産上の損害について。
(イ) 証人近藤勇の証言、原告本人尋問の結果によると、原告は起訴されてから判決言渡にいたるまでの弁護人三宅修一の弁護活動のために同弁護人に別表記載のように日当一日当り金三、〇〇〇円合計金七五、〇〇〇円、成功報酬金五〇、〇〇〇円を支払つたことが認められるが、右日当及び成功報酬は成立に争のない甲第七号証(東京弁護士会所定弁護士報酬規定)及び弁論の全趣旨によつて相当であると認められる。
(ロ) 証人近藤勇の証言、原告本人尋問の結果と成立に争のない甲第五号証の一ないし四によれば、原告は刑事公判に弁護人とともに出席するために別表記載のように横浜大垣間二等乗車賃合計金三五、一二〇円、三宅弁護人の東京大垣間二等乗車賃合計金三七、〇四〇円、二名分の二等普通急行料金合計金三二、六四〇円、宿泊料(昼食、女中チツプ、税金共)二名分合計金三九、〇〇〇円を支出したことを認めることができる。
(ハ) 原告が財産上の損害として主張するもののうち原告自身の一日当り金五〇〇円の日当は原告の受べかりし利益の損失の趣旨とも考えられるが、法律上とくだんの規定のないかぎり原告にそのような損害があつたことの証拠の存在しない本件においてはこれを原告の損害額に加えるわけにはいかない。
(2) 精神的損害について。
証人近藤勇、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、原告は中流家庭の主婦であり幼児の母親であるが、かつて警察の取調を受けるなどの経験もなく全く平穏な生活を送つてきたのに突然本件の嫌疑を受けあまつさえ起訴されたのであつて、これによつて多大な精神上の打撃を受け、無罪判決の言渡にいたるまでの約一年間を悲嘆と無念のうちに過し、その間一二回にわたる公判期日に幼児を他に預けて遠隔の地から出頭するなど相当な精神的苦痛をこうむつたことがうかがわれるのであつて、これらの現実の苦痛は無罪判決によつて青天白日の身となつたという事実自体によつてはいやされるべくもないことは当然である。原告が主張する慰藉料金一〇〇、〇〇〇円の請求は相当であると認められる。
(一一) 以上のとおりであるから原告は国家賠償法第一条第一項の規定にもとずき被告に対して合計金三六八、八〇〇円の損害賠償請求権があるものというべく、原告の本訴請求は右金額及びこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和三三年六月三日から完済にいたるまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲内で理由があるのでその限度でこれを認容すべきであるが、その余の部分は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 浅沼武 菅野啓蔵 小中信幸)
(公訴事実)
被告人は昭和二十一年七月二十一日頃満洲より引揚げて舅近藤捨次郎が生前居住していた大垣市東前町四百三十二番地の三の住宅に於て暮していたが、昭和二十二年度の農地解放の際同市小泉町三百五番地医師説田周策の所有で隣家の同市東前町四百三十三番地有里愛造の小作していた同町字寺西四百五十五番地田五畝十七歩が不在地主の所有農地として所轄大垣市安井地区農地委員会において昭和二十二年三月三十一日附を以て右田を土地台帳上の地目田五畝十七歩、現況田四畝、畑一畝十七歩として国家で買収し、之を有里愛造に売渡す計画を樹て、その買収計画書及び売渡計画書を岐阜県知事に送付し、その頃同知事より右委員会を経由してその買収令書が説田周策に、その売渡通知書が有里愛造にそれぞれ交付せられたが、その後昭和二十四年春頃に至り有里愛造が売渡を受けた前記土地と被告人方の敷地との境界について紛争を生じ、有里愛造の娘せいの申立に依り右委員会においてその紛争を調停することとなり、その頃同委員会の副会長浅野精一が現地に臨み、その調停をなしたが、その際浅野精一は有里愛造に売渡された前記土地が地目は全部田となつているが、現況は田四畝、畑十一歩、宅地三十六坪であつて、その宅地は被告人方で賃借し被告人方の敷地の一部となつていることを知り、その由を右委員会に報告した結果、同委員会においては本来宅地は農地解放の対象とすべきものでないのにその対象としたことの誤謬を発見し、この誤謬を訂正することとなり、その訂正を当時同委員会の書記であつた富田荘吉及びその妻富田幸子に命じたが、一方右宅地が農地解放の対象とすべきものでないことを知つた被告人は、その宅地が農地解放の対象より除外された暁之を有里愛造より夫近藤勇名義で買受けた上その所有者である説田周策を騙して同人の印章を同人名義の右宅地の保存登記申請書類及び同人と近藤勇間の右宅地の所有権移転登記申請書類の所有箇所に押印させ、之を岐阜地方法務局大垣支局に提出してその登記を為してその宅地を騙取せんことを企て、同年九月頃富田幸子が岐阜県農地部農地課に赴き同課に保管中の先に右委員会が岐阜県知事に送付した農地の買収計画書及び売渡計画書の各現況畑一畝十七歩と記載せる箇所を抹消してその横に十一歩と記載して宅地三十六坪がその買収及び売渡の対象でなかつた様に訂正したことを知り、その頃有里愛造より近藤勇名義で前記宅地三十六坪を代金三百二円四十銭で買受け、更にその頃当時大垣市警察署安井地区巡査駐在所勤務巡査田中一市と共に説田周策方に赴き、説田周策に対し前記宅地三十六坪が農地解放より除去されたことを秘して「農地解放に依り前記宅地三十六坪が農地解放の対象となり有里愛造に売渡され、更にそれを近藤勇が買受けたが、その登記をするのに順次にすると二重の手続を要するにより貴殿より直接買受けたようにして登記申請をしたいからその登記申請書類に押印してくれ」と虚偽の事実を告げたが拒絶され、その後二、三回同人に同様の依頼をしたが、その都度拒絶されたので予て同人と懇意の間柄にある子安覚司と共に説田周策方を訪れ、子安覚司をして説田周策に前同様の依頼をなさしめた結果同女等の申出を真意なりと誤信した説田周策をして同人名義の右宅地の所有権保存登記申請書類及び同人と近藤勇間の所有権移転登記申請書類の所要箇所に同人の印章を押印させた上昭和二十五年一月二十一日大垣市西外側町岐阜地方法務局大垣支局において同支局係員に前記登記申請書類を提出し、同係員をして同日同支局備付の登記簿原本にその登記を為さしめて前記宅地を騙取したものである。
別表(財産上の損害の明細)<省略>